月面着陸とケネディー2012/08/28 18:03

月面着陸を人類最初に果した?アポロ11号のアームストロング船長がお亡くなりなりました。

アポロ月着陸に関しては、色々な疑惑が有ることは皆さんもご承知の事と思います。
私もブログを始めた2010年6月に、
「どうして月に行かないんだろう」
と言うタイトルで、スペースシャトル(当時はまだ就航中)が何故月に行かないのか疑問だと書きました。

アポロ計画は1961年5月25日にケネディー大統領が発表しました。
そしてその2年半後の1963年11月22日にケネディー大統領はテキサス州ダラスで暗殺されました。
ケネディー大統領が暗殺された本当の理由はいまだに分かりません。
いろいろ推測がなされていますが、その中の一つに軍産複合体による暗殺が有ります。

Wikipediaより抜粋。
「軍産複合体の意を受けた政府主犯説」は、「ケネディの南ベトナムからのアメリカ軍による軍事顧問団の縮小計画と、その後に予想された軍事顧問団の完全撤収が『軍産複合体の利益を損ねる』と恐れた政府の中の一部勢力が、大統領の警備を弱体化して犯行に及んだ」とするものである。

私も軍産複合体による暗殺ではないかと思っていますが、理由は上記と少し違います。
私の推測は、ケネディ-大統領は、アポロ計画を中止しようとしたのではないかと思います。
何故中止しようとしたかを推測すると、

人は、月に行くことが出来ない、ことが分かった。

からではないでしょうか。
ケネディーは2年半で学んだのだと思います。
ヴァン・アレン帯を人は通過できないとか、宇宙服は放射線を防げないなどを科学者から教えてもらったのだと思います。
人が行けない月の為に巨費を投ずることは出来ない、となったのだと思います。

しかし、軍や軍需産業は中止をされては困るのです。
当時ソ連はロケット技術で、アメリカに一歩先んじていました。
核弾頭ミサイル技術がソ連との優劣を決める事は分かっていましたから、平和利用としてアポロ計画を蓑に、ロケット開発をすることは最優先事項でした。
それは大統領といえども邪魔することは許される事では有りませんでした。
アポロ計画は、1960年の終わりまでに当時のお金で250億ドル(当時1ドルは360円)もの巨費を投ずる計画でした。
このお金がなくなる事は絶対阻止しなくてはならない、と言う事になったのだと思います。

そして月へ行く約束の期限、1969年が来ました。
人が月へ行ける当ても無いのに、アメリカはいじでも月へ行かざるを得なくなり、世紀のいかさまショーをしたのかもしれません。



よく見る写真ですが、私は気になる箇所が二つ有ります。旗がはためいている所?
いや違います。旗ははためいているように見えますが、ポールを地表にねじ込むときに旗が動いたのがそう見えた、と説明されています。私もそう思います。

それでは何か。
星条旗のポールの影がないように私には見えるのだが。
人もその近くの石も影が有るのにポールの影が見えない。
むしろ人の影とは反対方向にポールの影と旗の影が重なっているように見える。

もう一つは、人が左に少し前傾しているところである。
酸素タンクなどを背負っているので後ろに体が引っ張られないように前かがみでバランスを取っているように見える。
月の重力は、地球の六分の一と言われているので、前傾するほど重くはないのでは思いますが、どうなんでしょうか。