正義を貫いた東條英機東京裁判供述書②2017/12/18 14:10

東條英機の供述書は1から156まで有ります。
その全文をそのままここに載せる事は出来ませんので予めご了解ください。

また供述書は要約、引用にさせて頂きます

皆様には是非原書をお読みになる事をお勧めいたします。


それでは、昭和22年12月26日に提出した供述書を見ていきたいと思います。



天皇に責任なし、敗戦の責・我にあり



      極東国際軍裁判所

        亜米利加合衆国其他

           対

        荒木貞夫其他

         宣誓供述書

                供述者 東條英機

自分儀我国ニ行ハルル方式ニ従ヒ宣誓ヲ為シタル上次ノ如ク供述致シマス





わが経歴供述書1から3まで) 


1.私は1884年(明治17年)東京に生まれ、1940年(昭和15年)7月22日に、第二次近衞内閣成立と共に陸軍大臣に任ぜられました。

そして1944年(昭和19年)7月22日内閣総辞職と共に総ての官職を免ぜられ、予備役に編入され、以来、何等公の職務に就いて居ません。


2.私の言う責任とは、政治上負う責任の事であって、法律的、刑事的な意味の責任では有りません。


3.私が関東軍参謀長の時発した電報について述べます。

1937年6月9日附けの電報が『対「ソ」の作戰に関し』打電したと検察は言っているが、それは明瞭を掻き歪曲の甚だしいものである。

正しくは『対「ソ」作戰準備の見地より』である。

また『南京を攻撃し先づ中国に一撃を加へ云々』という電文は『南京政權に一撃を加へ』となっているが、対ソ防衛及び満州国の治安確保の任務を有する関東軍参謀長の立場から、対ソ作戦準備の見地より日支国交調整に関する考察について意見を言ったものであり、軍司令官より大臣または総長に対する意見具申とは重要性について相違し、下寮間の連絡程度のものである。


当時支那全土に排日思想が広がり北支では中国共産党の脅威、平津(へいしん)地方でも中国共産党及び抗日団体が策動し北支の在留邦人が危険な状態に置かれていた。

これらは満州の治安にも悪影響を及ぼしており、関東軍としては対ソ防衛の必要上、満州の背後を平静な状態にしたかった。

そして中国とは国交の調整は必要であったが、排日抗日の態度を改めさせる事が先決と考え、挑発行為が有ったなら中国に一撃を加え反省を求めるか、さもなければ国防力の充実に拠って威圧するべきで、これ以外の方法で、中国のご機嫌を取るやり方ではかえって中国を増長させる事に成るだけだとの考えであった。

しかしこの意見は中央には採用されなかった。

また盧溝橋事件はこの電報とは何ら関係はない。

盧溝橋事件及び之に続く支那事変は当初常に受け身であったことからも分かる事である。


以上が供述書1から3までの内容ですが、供述書3から分かる様に、1937年(昭和12年)当時はすでに中国全土が反日で有り、その流れは現在まで続いています。

そして東條は中国に対する対応を正しくこう言っています。

「中国のご機嫌を取るやり方ではかえって中国を増長させる」と。

戦後の日本や世界は、中国のご機嫌を取って来ました。その結果が核大国であり、軍事大国であり、覇権国家であり、侵略国家の中国で有ります。


東條や日本政府の中国に対する認識は間違っていなかったのです。


次回に続く


皇紀二千六百七十七年、平成二十九年十二月十八



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