正義を貫いた東條英機 東京裁判供述書① ― 2017/12/16 15:18
12月と言えば真珠湾攻撃が頭に浮かびますが、12月は東条英機大将が没した月でも有ります。
12月23日はGHQにより東条英機大将の死刑が執行された日です。
戦後は、海軍の山本五十六大将を英雄扱いし、陸軍の東條英機大将(以下東條)を悪者にし、敗戦の責任を全て東條一人に押し付けていますがそれは不公平です。
東條は英米との戦争には反対でした。
では東條に責任はなかったのでしょうか。当然責任は有ります。
東條の責任は、陛下と将兵と日本国民に対し、敗戦に導いた戦争指導者としての責任が有ります。それは死をもって償わなければならないものです。
しかし連合国の一方的な悪者としての死刑による死とは別物です。
その意味でも私は東京裁判には断固反対するものです。
今回は当時の日本政府や東條が中国の扱いで悩み苦労していた事を「東條英機東京裁判供述書」を通して見てみたいと思います。
参考にしたのは、編著者滝沢宗太氏の「正義を貫いた東條英機東京裁判供述書」(発行者 高原大学総本部)です。
この「正義を貫いた東條英機東京裁判供述書」を読んで強く感じたことは、この供述書は東條が日本国民に当てた遺書であると思いました。
この本の編者も同様の事を書いています。編者の言葉を引用します。
「・・・形式においては、国際法廷裁判官への供述であるが、その実質はともに敗戦の惨苦をなめた全日本国民に対する謝罪であり、真相の報告に他ならない。・・・」
と書いています。
私も全く同感です。東條は、連合国は東條たちを何が何でも悪人として死刑にするだろうことは分かっていたはずです。だからむしろ東條は裁判と言う場を利用して、日本国民に本当のことを残して行こうとしたのだと思います。
東條が刑を執行される3日前に詠んだ辞世の句を紹介したいと思います。
われ逝くも またこの土地に
帰り来む國に報ゆる
ことの足らねば
この句から東條が日本をいかに愛していたかを知ることが出来ます。
私はこの句を読んで涙が止まりませんでした。
私たちは子供のころから、東京裁判史観に沿った戦後教育により、東條は悪い奴、と教わってきました。
そしてそれは完全と言っていいほど多くの日本人の脳を支配して来ました。
しかし悪い奴が、国を想い国民を想うこのような詩を書けるでしょうか。
今の日本国民は、洗脳教育のお蔭で、日本国、日本国民のために戦い死んで行った人たちに対する尊敬の念が希薄すぎます。
だから「九条の会」に代表されるような精神構造がおかしい反日団体が出来てしまうのです。
昭和22年12月26日に提出した宣誓供述書>は以下のように成っています。
天皇に責任なし、敗戦の責・我にあり
極東国際軍裁判所
亜米利加合衆国其他
対
荒木貞夫其他
宣誓供述書
供述者 東條英機
自分儀我国ニ行ハルル方式ニ従ヒ宣誓ヲ為シタル上次ノ如ク供述致シマス
次回に続く
皇紀二千六百七十七年、平成二十九年十二月十六日
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